シニアライフは気ままに
定年後のシニアライフを気ままに過ごしている平凡な”おじさん”の日記です。 旅行、写真、ゴルフ、パソコン、孫たちなどの話を気ままに綴ってみました。
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関宿城博物館に寄る
関宿3 野田の醤油工場を見た後、同じ野田市内の関宿まで足を伸ばして「関宿城博物館」を見てきた。これは利根川と江戸川とに挟まれた野田市関宿三軒家のスーパー堤防上に建設され、川の歴史と文化を探る博物館として平成7年に開館したものだ。

関宿1 たまたま、この日は企画展「自然災害をのり越えて」を開催中で、江戸時代以前から現在に至るまでの利根川流域の災害対策の事業について、いろいろな文献や古文書などともにかなり詳しい展示がされていた。 受付の人に聞いたら「普段の展示のほうが本当は面白いんですよ。」と言われてちょっとがっかりした。

関宿2 利根川水運の主役として活躍した高瀬舟の大型模型。

関宿5 お城の天守閣から見た利根川と江戸川の分岐箇所。真ん中の光っている部分は利根川が分岐した江戸川部分で、利根川の本流は右側の茂みの陰になっている。

関宿4 城の裏には立派な庭園も造られている。 1時間ほど滞在したが、訪れた客はわずか7人であった。平日とは言え、なんとも無駄な施設のようにも思われた。

@千葉県立関宿城博物館  10月29日

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醤油の町 野田 を歩く
お天気につられてカメラを持ってふらりと家を出た。
とりあえず電車で大宮まで行って、そこで行き先を決めようと思った。
大宮に着くなり 「そうだ、東武野田線で醤油の町へ行ってみよう。」 と決めたのは昨夜、刺身を食べたときに家内と醤油の話をしたのを思い出したからだ。刺身に合うのは濃口醤油か薄口醤油かでちょっともめたのだった。
noda0.jpg 大宮駅から東武野田線柏行に乗車して、途中で単線になったり、複線になったりしながら約45分で野田市駅に到着。

noda1.jpg 平日の11時ごろは閑散としている駅前だ。

noda2.jpg 駅から5分ぐらいのところに「キッコーマンもの知りしょうゆ館」がある。キッコーマンの野田プラントの一部を見学できるようにした施設で、醤油製造工程を実際に目の前で見ることができる。一人で受け付けによると、「シニアの団体が今ツアーに入ったばかりだから一緒にどうぞ。」と言われて30分ほどの見学をさせてもらい、最後に出来上がったばかりの醤油の小瓶をお土産にいただいた。

noda4.jpg ここは市民会館。 キッコーマン醤油の前身野田醤油を設立した茂木一族が建てた純和風建築で、茂木佐平治氏から寄贈された。

noda5.jpg 広い庭園はきれいに手入れされており、佐平治氏の先々代が明治初期に建造した茶室も復元されている。

noda6.jpg 最上級の来客用の接待・宿泊に使用された書院造の15畳の2間。畳廊下と面の大きなガラス戸が豪華さを偲ばせている。

noda7.jpg 愛宕神社の近くに蔵や工場が建ち並んでいる。天保元年(1830)創業のキノエネ醤油だ。キッコーマンと比べると近代化にちょっと遅れた感じがする。

noda8.jpg 建物の建築年代は明らかでないが、黒い板塀がすっと伸びて風情あるたたずまいを見せている。 
なお、キノエネ(甲子)とは十干十二支の最初同士の組み合わせで、「一番最初」の「稀である」という意味だそうだ。

@野田 10月29日
紅葉の尾瀬に遊ぶ - その4
元湯山荘から15分ほど歩いたところで、険しいくだりの鎖をつたって,降りた場所に”平滑の滝”の展望台がある。 数十メートル下を見下ろすとゴーゴーと音を立てて白い筋がほとばしっている。
下のサムネイルをクリックするとその偉容に驚かれるであろう。 これが両側を錦の森に囲まれて、堂々と流れる ”平滑の滝” の全貌だ。

パノラマ写真1000
この写真は、どんな広角レンズをもってしても一望には撮れない。 下の2枚の写真のように部分部分を別に撮って、windowsフォトギャラリーで合成したパノラマ写真なのだ。 合成に要した部分写真は重複部分を多くとったせいもあるが10枚である。 
今回の尾瀬ハイクの中でも一番の絶景だった。

DD001.jpg
DD006.jpg

@平滑の滝     10月9日
紅葉の尾瀬に遊ぶ - その3
東電小屋から今夜の宿となる元湯山荘までの道は距離はないが、景色が変化に富んでいて一番楽しく美しかった。このあたりは 群馬県、新潟県と福島県の3つの県境が微妙に交錯するところだ。

元湯2
東電小屋のすぐ裏の山道は真黄色に色づいたカエデと真紅のウルシやナナカマドなどが覇を競っている。

元湯1
木々の間からヨッピ川が水面を日に照らされて輝いているのが垣間見られる。

元湯5東電尾瀬橋
新装なった東電尾瀬橋の下を流れるヨッピ川はやがて只見川に注ぐのだ。

元湯4
この流れが新潟県と福島県の県境となっている。 右側が新潟県で左側が福島県だ。

元湯7
東電小屋の裏の林を出ると正面に燧ケ岳の雄姿が大きく視野に入ってくる。
燧ケ岳は福島県に属するが尾瀬ヶ原の大部分は群馬県に属する。

元湯0 紅葉と白樺マッチして美しい。

元湯00
エゾリンドウが秋の名残を留めているがなんとなくうら寂しい。

@東電小屋~元湯山荘    10月8日

紅葉の尾瀬に遊ぶ - その2
鳩待峠から入山し ”山ノ鼻”、そして尾瀬ヶ原に出るこのコースは、尾瀬へのハイカーが最も多く利用するコースだが、早朝のせいか人影も少なく散策には快適であった。 やがて小雨もあがり、美しい草紅葉の向こうに紅葉した牛首山や燧ケ岳の眺めが映える。

竜宮1 
昨年の8月から日光尾瀬国立公園から独立して日光国立公園として生まれ変わった真新しい看板。

竜宮4
このあたりでは未だ燧ケ岳の頂上には雲がかかっていたが、木道にはほとんど人影が見えない。湿原を独り占めしている感じだ。

竜宮2
ヒツウジグサも紅葉して池塘に彩を添えている。未の刻頃に花を咲かせることから、ヒツジグサと名付けられたといわれるが、実際は朝から夕方まで花を咲かせるという。

竜宮5
竜宮から東電小屋二向かう道はヤマドリゼンマイの群落だ。 燧ケ岳をバックにした枯れたヤマドリゼンマイはまるで恐竜の尻尾のようだ。

竜宮6
東電小屋が見えてくるころは空も晴れだいぶ明るくなってきて、”歩荷さん”と呼ばれる荷物運びのプロの姿もよく目にした。 歩荷(ぼっか)とヘリコプターだけが尾瀬への物流を支えているのだ。
”歩荷”は梯子のような形をした荷台(背負子)をつけ、それに箱詰めした荷物を何段にも重ねて乗せて運搬する。 1回の運搬量は通常40~50kgで、中には100kgを担ぐ人もいるという。


@山の鼻~東電小屋    10月8日

紅葉の尾瀬に遊ぶ - その1
尾瀬MAP

紅葉を求めてまた尾瀬を訪れた。 今年は夏に計画していたのだが、台風に遭遇したため急遽取りやめとなったので今回はなんとしても晴れて欲しかった。
深夜0:10に友人の住む桶川を彼の愛車トヨタRAVで一路尾瀬の入り口戸倉に向かう。17号バイパスから407号で大田・桐生を抜けて赤城山の裏を通過し、老神温泉から片品へ抜ける夜道を3時間強で戸倉の駐車場に到着。 戸倉ー鳩待峠区間はマイカー乗り入れ規制がされているが、代替輸送のタクシー及びシャトルバスは早朝(午前4時過ぎ)から随時運行されていて、鳩待峠や沼山峠へのアクセスには困ることはない。2時間ほど駐車場で車中仮眠を取り、早朝6時にはシャトルバスで鳩待峠に到着。 未だ雨が降り止まぬ中を天気予報を信じて ”山の鼻” を目指して出発した。
地図上の赤い線が第1日目の行程である。

鳩待ち0
至仏山頂には雲がかかり、山あいには霧が張って間近の木々の紅葉もくすんで見える中を、雨の止むのを祈りながら標高差200Mの山道を下った。

鳩待ち1
大木に絡みつくツタウルシの真紅の葉が雨にぬれて輝いているのが印象的だ。

鳩待ち2
この美しさを引き出しているのは雨のおかげと思うとなんとも複雑な気分であった。

鳩待ち3
オオカメノキの果実が赤く熟している。やがて黒変し、果実酒にすると美しい赤いお酒ができるそうだ。

鳩待ち4
一級河川の川上川の橋を渡れば ”山の鼻ビジターセンター”はもうすぐだ。

@尾瀬鳩待峠~山の鼻  10月8日
神田明神
御茶ノ水駅の近くで小学校時代の仲間と簡単なクラス会を催すことになって、時間調整に神田明神をお参りした。 東京で生まれ、人生のほとんど90%を東京近辺で過ごしているのに此処を訪れてのは生まれて初めてだ。

神田明神1
以下は当神社のホームページからの抜粋だ。
社伝によると、当社は天平2年(730)に出雲氏族で大己貴命の子孫・真神田臣(まかんだおみ)により武蔵国豊島郡芝崎村―現在の東京都千代田区大手町・将門塚周辺)に創建されました。
その後、天慶の乱で活躍された平将門公を葬った墳墓(将門塚)周辺で天変地異が頻発し、それが将門公の御神威として人々を恐れさせたため、時宗の遊行僧・真教上人が手厚く御霊をお慰めして、さらに延慶2年(1309)当社に奉祀いたしました。戦国時代になると、太田道灌や北条氏綱といった名立たる武将によって手厚く崇敬されました。
慶長5年(1600)、天下分け目の関ヶ原の戦いが起こると、当社では徳川家康公が合戦に臨む際、戦勝のご祈祷を行ないました。すると、9月15日、神田祭の日に見事に勝利し天下統一を果たされました。これ以降、徳川将軍家より縁起の良い祭礼として絶やすことなく執り行うよう命ぜられました。

明治時代に入り、社名を神田明神から神田神社に改称し、東京の守護神として「准勅祭社」「東京府社」に定められました。明治7年(1874)には、はじめて東京に皇居をお定めになられた明治天皇が親しく御参拝になり御幣物を献じられました。
戦後以降、結婚式場・明神会館など次々と境内の建造物が再建されていき、昭和51年に檜木造の隨神門が再建されるに及び、江戸時代に負けない神社の姿を取り戻しました。さらに「平成の御造替事業」が行なわれ、社殿の修復・塗替えや資料館の創建など境内整備が進められました。平成17年、神札授与所・参拝者控え所・休憩所を兼ね備えた鳳凰殿、氏子英霊をお祀りする祖霊社が建立されるなど、さらに境内整備が進められております。

神田明神2
正式名称・神田神社。
東京の中心―神田、日本橋、秋葉原、大手丸の内、旧神田市場、築地魚市場―、108町会の総氏神様です。「明神さま」の名で親しまれている。
獅子の顔をした狛犬がにらみを利かせている。


   スピーカーのマークをクリックするとお囃子が聞けます。

おみくじ自動販売機の中では、お金を入れると獅子舞の人形が踊りながらおみくじを選んで手元に運んでくれる。

@神田明神  10月4日

いやな予感
美瑛の丘2
今にも降って来そうないやな予感がする。
ロール君も不安そうな顔をしています。


@美瑛 パッチワークの丘  9月26日


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気ままなおじさん

Author:気ままなおじさん
定年退職したゴルフと旅行とパソコン好きのオジさん。
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